呂宋(ルソン)の壺って知ってる??
ども!kassyです。
始めてはてなブログに書いてみるよ!
基本的にTwitterの暗号通貨界隈に出没してる鹿ですが、はてなブログを始める前は、ALISメディアに記事を書いてました。
そもそも精神的に病みぎみを改善するため、ストレス発散を目的に始めたALISメディアへの投稿でしたが、ストレス発散どころか、余計にストレスが溜まる状態となったためとっとと卒業しましたwww
これからは、こちら「はてなブログ」でのんびり記事を書きつつ精神状態の改善に努めたいと思っています。
さて、記念すべき最初の投稿は「呂宋の壺」てタイトルにしてみました。
「ルソンの壺???」
関西の人ならNHKの経済情報番組かと考える人がいるかもしれませんが、残念ながら違うのですね~www
よく仮想通貨主にBitcoinの高騰を「チューリップバブル」と同じだと例える人がいますが、「チューリップバブル」が始まる100年も前に、この日本でも同様のバブルがあったことはあまり知られていないと思います!(ワシが知らんだけか???)
時は戦国時代。
足軽から天下人にまで昇りつめた豊臣秀吉は茶人、千利休の影響により茶の世界に嵌まり込んでいきます。
当然、天下人ですから、全国各地から様々な貢物が献上されてくるわけですが、当時フィリピンのルソン島と交易を行っていた堺の商人、納屋助左衛門がルソン島で日常的に使っていた壺を秀吉に披露したところ、千利休が気に入り絶賛をしてしまったわけですwww
当時の千利休と言えば、今でいうインフルエンサーみたいなものですから(w)、全国の諸大名は名品だと挙って手に入れようと奔走します!
当然、商品は需給関係で値が決まるので、この「呂宋の壺」は一気に値段が高騰し、本当かどうかは知りませんが、壺の価値と1国の価値と同等になったとも言われています。
仕入れれば、仕入れるほど売れていくものですから当然、納屋助左衛門が巨万の富を手に入れます。
しかし、目に余る贅沢な暮らしをしていた納屋助左衛門を快く思わない武将も多く、遂には石田三成たちにに目を付けられ、察した助左衛門は寸前のところでルソン島に逃げ、難を逃れたようです・・・
一説には、「呂宋(ルソン)の壺」は真偽は不明ですが、島民の便器もしくは肥溜め(?)に使われていたことがバレて、秀吉を始めとする諸大名に怒りを買い、ルソンに逃げたという話もあるようです・・・。
当然、「呂宋の壺」は怒りの矛先として、ほとんどが叩き割られたとのことです・・・
どこかで聞いた話によく似ていませんか??
何処にでもありそうな国産クソコインをインフルエンサーが煽り、信者が挙って買い漁り、当然の如く大損を抱えるて話にwwwww
人間とは反省しない動物ではありますが、500年近く前にも同じ話があったんですね!
いいかげん気づけよ!!!
それでは、疲れない程度に続けていきたいと思いますのでヨロシクです!
では・・・